礼法と聞くと日常とは掛け離れた特別なもので、堅苦しくて窮屈なものと勘違いされやすいのですが、本来はそうではありません。礼法の基本精神はあくまで「相手を思いやる心遣い」にあります。
礼法は私たちの家庭をはじめとする社会の中で、人と人との関係を円満にし、平和で楽しく穏やかに過ごしていくための必要性から生まれたものです。人と人の心を結ぶ潤滑油のような役割をもつ社会規範でもあるのです。
例えば、物の受け取り・渡し方で、ペンを相手に渡す場合、先が尖っているので危険がないようにペン先の向きを考え、次は相手が受け取りやすいように配慮して手渡すと、無理がなく自然で優しさが伝わります。
また、大勢が行き交う道路を自分勝手に歩きまわるとかえって歩きにくく危険です。そこでお互いの約束事を設ければ安心して歩くことが出来ます。車道でも同じことが言えます。
雨の日、傘をさして狭い道路をすれ違うとき、お互いの傘が触れ合って迷惑な思いをした経験はありませんか。そのような場合は、お互いのことを思いやって自分の傘を少し傾ける動作『傘かしげ』をすると安全でスムーズにすれ違うことができます。
相互の敬愛精神から生まれた礼法は、相手への優しい心遣いや温かい思いやりの心を、自然な形でさりげなく表現するもので、心と動作が調和した状態をいいます。
礼法の心が備わっていれば表現(形)はその時代環境や生活様式によって多少は変わりますが、根本に流れる相手を大切にする思いやりの心は変わらないものなのです。
家庭から躾が消え、温もりのある人間関係を求める声が高まっていますが、それは決して復古調ではなく、人間本来の「心のゆとり」を取り戻そうという人々の願いからなのです。
価値観が多様化する昨今、自分の中に信じるものがないと、当面の利害に練られ、角を立て寒々とした行動を取る人がいるのも致し方ないことかもしれません。ですが、それではかつての日本人の美徳とされた、思いやりやいたわりの心、優しさに目や心が届かなくなり、自分さえよければという利己的でごうまんな人間になってしまい、結果として幸福で充実した日々からは遠のいてしまうのです。
礼法の基本は「相手への思いやりの心」に尽きます。家庭に向ける優しい思いやりの心を隣人へ、そして社会へと広げることによって暖かい人間関係が生まれてくるのではないでしょうか。
礼儀や躾の空白の時代といわれる現今、国際社会においては日本の礼節はますます重要視されていくものと思われます。
礼法は人の生き方すべてです。変化していく世の中の流れに適応して行く過程で、その芯になるものは伝え残していく責任があります。
礼法は、どれひとつとっても背景にそれなりの合理的な理由があり、美の追求といわれるほど簡素な動作で表現するものなのです。私たちは幾多の先人が考え、長年かかって育んできた礼の心を受け継ぎ、現代に生かし根付くことを願ってやみません。
私たちは活動の一環として、小笠原惣領家流礼法の内容から日常礼法などを徐々に紹介していきたいとも考えております。縁のある方にはお心を向けていただき、共に学び合いましょう。そして歴史的に画期的な決断をなさり、そのことに専心なさった小笠原忠統宗家の希望をつないでゆけることを願っております。